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深く濃く晴れ渡った蒼空を背景に巍巍とそびえる王宮は、正午近くの陽射しを受けて、自身が発光しているかのごとくに真白く、まばやかに輝いていた。
今日と云う日を飾るために出されたのだろう、建物に付属している円塔の先端、青藍の 粘板岩薄板 が天頂を突いてのびる先には聖戦士を始祖とする12の家系の紋章旗がなびいているし、王宮の外壁にはグランベル王家およびその藩屏六公家の紋章を織り成した大長旗が、前広場に面した
大露台
陽の光を映して宝玉のようにきらめく窓硝子。その周囲を取り巻く精緻な彫刻。
足かけ三年ぶりに目にする王城は、記憶にある以上の美しさでレックスを迎え、ほほ笑み、歓迎してくれていた。
王城を眼前に臨む大広場にて、風をはらんでふわりふわりとうねる緞子を眺めて立ちながら。
(帰って、きたんだな)
レックスは、沸き上がる感傷に熱くなるおのれの胸を自分でもいささか持て余していた。今日このとき、王城を目にするまでまったく自覚はなかったのだけれど、故国を離れて以来胸に抱き続けていた郷愁が、願いかなったとたんに澎湃と波打って流れだしてきたらしい。ふと気を抜けば、その瞬間にも視界が曇ってしまいそうだった。
(初めての長期休暇で帰郷した中等学校生でもあるまいに)
とは思うのだけれど、動揺して定まらない感情に直結している涙腺は云うことを聞いてくれない。が、「ドズルの公子レックスは、 王国
両脇には、きらびやかな式典服を着込んだ士官たちや、着飾る金こそ持たないものの、この記念すべき日に臨むにあたってせめて、と汚れを落として磨きをかけた鎧をまとった兵士たちが整然と並んだ列が延えん続いていた。貴族が肩に跳ね上げた
外套
まとうものに違いこそあれど、光の川のなかにある表情は一様にかたく強ばっていた。それがこれから賜わることになっている拝謁に対する緊張のゆえなのか、はたまた自分と同じく満たされた望郷の念に対する欣喜の涙を押さえるためのものなのかは、個々の事情によろう。
余人の頭越しにすくりと佇む長身を見つけたレックスは、我知らずのうちにふ、と口元をほころばせた。濃い眉の下にある青藍の眸が陽溜りに置かれたはちみつのようにあたたかくあまい光をともしてとろける。
何ものよりも愛おしく大切な存在を見つめる男の眸だ。
そして事実彼は、この世におけるもっとも大切で愛しい 珠玉
レックスが率いるドズルの騎士部隊と、アイラが部隊長をつとめる庸歩兵部隊との間には距離があり過ぎるため、細かな表情まで確認することはかなわなかったけれど、しかし彼女が今どんな表情をしているかは、簡単に想像することができた。彼女のことなら、レックスはどんな細かな――本人が自覚していないことだって識っていたし、予測することができた。
おそらくきっと、秀麗な顔立ちをきつくこわばらせてまばたきすることをも忘れ、ひたすら前方、王が現われる壇上を仰望しているのだろう。間違いないはずだ。
この儀式が終了してのち、アイラは、シグルドの取り計らいによって、イザーク王国代表としてグランベル国王と会見することが決まっていた。そこで彼女は、今度の騒乱の端緒となったイザーク人のダーナ都市侵略に関するイザーク側の釈明をし、同様の弁明を行なうためにグランベル陣地へ出で向いたイザーク前王およびその一行が冷たな骸となって叩き返された事実を語り、今度のグランベルの行動がいかに偏った情報に基づいた性急過ぎるものであったかを主張し、イザークの大地およびそこに生きる民草の統治権をイザーク王家の直系に戻すことを嘆願せねばならないのだ。会見の場における自分の言動がイザークの未来を決定するのだから、気を弛ませる余裕が無いのは当然だった。
もちろんレックスもその場に立ち合って、許されるかぎりの援助は行なうつもりだった。それはなるほど、困難な交渉だろうけれど、しかし老いたりとは謂えどアズムールは話の解らない王ではない。こちらが真摯に懇願を繰り返せば、かならず聞き届けてくれるはずだ。レックスはアイラにそう話したし、自分でもそう信じていた。
むろん、領土問題など謂うおおごとが、わずか1日の折衝で解決されるなどとはレックスもアイラも考えていない。いくら彼らだとてそこまで楽観的にはなれなかった。
が、いずれ近いうち。交渉が一段落したら。
「一度、イザークへ行こう」
昨夜。王都に入る前の夜。アイラは切れ長の形良い目をきらめかせてレックスに約束を求めた。
「そうだな。早いところスカサハとラクチェを迎えに行かないと、二人に顔を忘れられちまうからな」
と同意するレックスに彼女は「それもあるが、」とかすかに首を振った。
「何よりもお前にあのくにを、大地を見せたい。香る草に染められた風のなかに立たせたい。渺びょうとうねる草原が蒼穹とまじわる光景を見てもらいたい。何が起ころうが飄ひょうと生きることを続けてゆく民たちに会わせたい。妾が好きだった場所をお前に教えたい」
蒼い天と緑の大地。丘のふもとに身を寄せあうように育つ木立。銀の帯のようにゆったりと流れ行く大河。そこに生きる多彩な動物や鳥、魚たち。夢見るような表情で、熱をこめて雄弁にイザークの大地を表現し終えたアイラは、レックスの眸を真っすぐに見つめて静かに云った。
「お前と、妾。妾たちのくにだ。お前にも好いてもらいたい」
「俺たち、の……?」
意味をはかりかねて戸惑うレックスに、深くうなずいて続ける。
「さよう。イザークは妾が生まれ育った大地だ。妾の血を作り、魂を育んだ土地だ。そうして今はお前の兄が治める国だ。グランベルとの談判がどんな結果に終わっても、そこが妾たちのくにであることに変わりはないだろう。ゆえにこそ、お前にも気に入ってもらいたいのだ」
わたしたちの、くにだ
あのときのアイラはどんな気持ちでその言葉を云ってくれたのか。それを思うとレックスは胸が詰まって苦しくなる。そして同時に思うのだ。アイラをこの世に送り出してくれた大地をくにを人びとを、自分はきっと、ドズルの国と同じくらい大切に想うだろう、と。事実まだ眸にしたことのない風景を、彼は懐かしく思い始めていた。
(早く行こうな)
胸のなかで声に出さずにささやきかけて、レックスは視線を転じた。とたん、自分からそう離れていない場所でしきりに洟をすすっているアゼルを見つけた彼は、これまでの神妙な表情も想いも忘れた様子でにやり、口の端を持ち上げた。この冬晴れて一児の父親となったアゼルだのに、その性格はまったくと云って良いほど変わっていなかった。
もっとも、中等学校の時分からレックスとも付き合いのある彼の妃は、
「アゼルはそれが好いところなんだからっ」
と力説して止まないのだから、それはそれで巧く行っているのだろう。
部下は主君に似るのだろうか、アゼルの背後に続く彼の部隊の人間も、心なしか目元を赤くしているものが多いように見えた。
自分のことはすっかり忘れてくっくっくと咽喉を引きつらせたレックスは、ふと思いついて自分の背後を振り返った。
「……」
そうして、目元を赤くするどころではない、滂沱の涙を隠そうともせずに落としている部下たちを見つけてしまった彼は、見なければ良かったと、おのれの気紛れを後悔した。美女や美少女が涙を落とす姿はそれなりに絵にもなろうけれど、筋骨たくましい男たちが泣きじゃくっている姿はひたすらむさくるしいだけだ。
「閣下ぁ。やはり、故国は良いものですねえ」
振り返ったレックスと眼の合ったロヘリオが、盛大にしゃくり上げながら云った。
「まあ、な」
レックスは、肯定とも否定とも取れないうなり声を咽喉奥にからませてうなずいた。
「それよりも、顔を拭いとけ。陛下に汚れた顔を見せるなんて失礼だろうが」
「さようですねえ。せっかくなら陛下には、きれいな顔を見ていただきたいですものね」
ロヘリオは典礼服の袖口から取り出した手巾で顔面を拭い、仕上げとして盛大に洟をかんだ。国王の来駕を控えて森と静まり返っていた広場にびぶ、とおおきな濁音が響いた。レックスは顔を引きつらせた。
(もっと遠慮してかめぇえっ)
が、レックスの動揺などはまるで気づかないロヘリオは、近くの同僚および自分の背後に立ち並んだ兵士たちにも同様な命令を伝えてしまう。
びぶ。ぶ。ぶべ。ずび。真青な空の下、洟をかむ音がにぎやかに鳴り響き、それに釣られて周囲からくすくすと、圧し殺しきれない笑いが立ち上がり始めた。レックスは頭を抱えたくなった。が、そんなことをすれば恥の上塗りだ、くらいの判断力はまだ残っていたのでしようがない、背後の雑音と自分は無関係である、との表情を作って超然とした態度で遠く広場の端の方へと目をやった。
他人はそれを心理的逃避と呼ぶ……かも知れない。
レックスの前方、王城の正面出入口に続く階段の先には、艶やかな常緑の葉々の合間に赤い実をつけた柊と 櫟
が、レックスたちがこの王城前広場に整列してからもうだいぶんと長い時間が経過しているはずだのに、今日と云うこの日を祝賀する大貴族も王国府の高官も、ひとりとしてそれら席についていなかった。
どこか、控えの間にでも詰めているのだろうか。思う。それにしたっても、そろそろに出てくるべきではないか。
(始まるまでもうそんなに余裕はないだろうに)
たしか式典は正午に始まると聞いていたのだが。開始直前になって席に駆け込むことほど不様なものはないのではないだろうか。それは儀礼を重んじるグランベル貴族にはめずらしいはずのことだった。それとも自分たちが離れている間に、国の式次第にも変化が起きたのだろうか。
(そう云えば)
ふと、思い至った。
今日この日のようにグランベル6公家に関係する人間が集まって執り行われる公式行事においては慣習的に派遣を続けられていた、6公国警備兵の姿が見えない。いるのはただきらびやかな制服――式典服ではない――をまとった近衛兵と、ヴェルトマーの
炎騎士団
(おかしくないか)
これまで数多の死地をくぐり抜けてきた歴戦の戦士としての勘が、こちらを見る近衛兵と炎騎士団の眸に不穏な気配を読み取った。
「おい、ロヘリオ」
レックスがいる箇所からもっとも近い広場の出口を固める近衛兵の一隊を睨めつけながら、彼は肩越しに背後に呼びやった。
「ふぇ、閣下。閣下も手巾がご入り用ですか」
未だ鼻をぐずぐずと鳴らしつつ、見るからにじっとりと湿った手巾を差し出してくれた部下に歯軋りしたい気持ちを押さえ込みながら、低い声で小さくささやく。
「要らん。それよりもお前、病気になれ」
「へ?びょうき、って……」
ロヘリオは戸惑った。以前から時折、唐突な物云いをするあるじではあったけれど、今回のこれはなかでも群を抜いていた。
きょんと両目をしばたたいて首を傾げた部下に、レックスはもどかしげに言葉を繰り返した。
「仮病だよ。貧血でも腹痛でもなんでもいい。とにかく具合が悪くなったふりをしろ」
「はあ、……了解しました」
そんな命を下した理由こそ判じかねたものの、あるじに寄せる信頼は同僚の誰にも劣らないロヘリオは、素早く拝命の礼をとって応じた。
「では、貧血をさせていただきます」
云うが早いか、ぎょろんとおおきな眸が白目を剥いた。えらの張った顔面から血の気が落ちて土気色となる。口角から薄く泡をこぼしながら、大柄な体躯が勢い良く仰向けに倒れこんだ。命じた本人も狼狽したくなるような名演技だった。
「おい、ロヘリオ」
「ロヘリオ、どうかしたのか」
たちまちのうちに周囲の列が崩れて小さな人垣が出来上がった。その中心で倒れたロヘリオの脇に膝を突いたレックスは、真剣な表情で脈を計って下目蓋や舌の色を確かめるふりをしたのち、落ち着いた声で解説した。
「貧血だろう、たぶん。緊張しすぎたんだな。どこか屋内で休ませてもらえばすぐに治るだろうよ。そうだな、そこの……ギリェルモにマテオ、おまえらふたりでこいつを運んでやれ」
「了解しました」
「了解ですっ」
ロヘリオ隊の副官ふたりは、きびきびと音が聞こえそうな所作で脱力したロヘリオの両腕および両脚をそれぞれ抱え上げると、足早に、広場出口へと歩いていった。当然のように門扉で止められた彼らの背を、レックスはじっと見つめた。
(さて、どう出るか)
近衛兵がロヘリオたちを広場外にすんなり出せば、疑惑は、完全には晴れないものの、しかしある程度までは薄まろう。が、彼らがあくまでもこちらの要求を拒んだ場合には――
交渉は、遠目にもはかばかしくないことが容易に読み取れた。ドズル男の典型らしく頭に血の昇りやすい性質のギリェルモが顔を赫く染めて声を荒げているけれど、近衛兵は冷笑するばかりでいっこうに取り合わない。見るべきものを見終えたレックスは、人をやって彼らに戻ってくるよう伝えさせた。
「いったい何様のつもりなんですか、あいつらはっ」
煉瓦敷きの足元にロヘリオをそっと下ろしたギリェルモは、 黝
「病人が出たんですよ。だからちょっと広場から出して休ませて欲しいって、そう頼んだだけですのに。あいつらときたら、木で鼻を括ったように嫌味たらしく取り澄ました様子で『そんなことを許可するようにとは云われていない』なんて云いやがるんです。急病人を外に出すくらい、上官にわざわざ云われなくても容れて当然のことでしょう。あいつら、自分たちを一人としてここから出すなと命じられでもしたんでしょうかねっ」
「かも知れんな」
レックスは右の親指で顎をこすりつつ、自分たちの方にとげとげしい表情を向けている近衛兵たちをちろり、見て小さくうなずいた。
「閣下、よろしいですか」
マテオが、こちらは太い眉を深刻にひそめた表情で訊ねた。
「ああ。何だ」
「は。自分はギリェルモが近衛兵の隊長と交渉を行なっている間、何気なく彼らの全身に目をやっておりましたのですが」
そこまで話したマテオは、不意に口を噤んで苦いものを含んだ表情をした。
「奴らの全身がどうかしたのか」
レックスが促すと、マテオはためらいがちに口を開いた。
「彼らは、儀仗ではなく、実戦仕様の武器を 外套
「確かか」
レックスの麾下のなかでも年長の部類に入るマテオは、眼前のあるじの眼を真っすぐに見たまま、自信なさげな声とは裏腹に深くきっぱりと首肯した。
「はっきりそうと判りますほど長い間見たわけではありませんから、たしかにと確証をもって申し上げることはできませんが、自分の眸が老耄したのでありませんでしたらば。あの隊長が自分たちに向けて『さっさと元いた場所に戻れ』との意をこめて右腕でさっと空を払いました瞬間、外套が風を含んでふわりと開いて腰のあたりが見えましたのです」
「そうか」
レックスは重い気持ちで相槌を打った。彼は自分の部下たちの判断力には信頼を置いていた。その彼らが見たと云うのなら、それはたしかにあったことなのだろう。と。
「閣下。私からもひとつよろしいでしょうか」
足元から声が登ってきた。見ればロヘリオが、未だ律儀に目を瞑ったまま仰臥を続けていた。
「ああ、ロヘリオ。ご苦労だったな」
「はっ」
立ち上がったロヘリオは、頭髪にからまった砂礫を払うことも忘れて、真剣に思い詰めた表情をレックスに向けた。
「奴らは、広場から外へと通じる門を封鎖しています。扉はわざわざ金具を付け替えて、外側から閂がかかるようにされてありました」
「ふぅむ……」
レックスは咽喉奥に唸り声をからませて長息した。近衛とヴェルトマー兵で――つまりはただ一人の指揮下にまとまる兵団で固められた周囲。実戦様に武装した兵士。内から人間を出そうとしない門兵。固定された出入口。それら眼目は寄り集まると、ひとつの結論へと収斂して行く。ゆかざるを得ないものだった。
が、このときのレックスにはまだ、まさか、との思いの方が強かった。相手は他国兵ではない。同じ国王に忠誠を誓う同じ王国の人間ではないか。その同国人がまさか、同じ国の人間である自分たちを攻撃するはずがない。彼はそう思い、信じていた。
このときのレックスは、ついこの冬、同じ国に生まれて育ち、同じ王に忠誠を誓っておきながら、様ざまな要因、思い、都合などから相対し、刃を交えたシレジアの人びとの悲劇を自分が目にしていたことをきれいに忘れていた。
しかし、シレジアの悲哀を忘却の淵に沈めていたとしても、今現在彼が覚えている不安は、無視して忘れ去るにはあまりに濃く不吉に過ぎる影だった。
「閣下」
「いかがされますか」
レックスを見上げる部下たちの眸にも心許なげな陰が映っている。
「何頼りない表情をしてんだよ」
レックスは意識して朗らかな笑いを響かせた。
「いいか、俺たちは自分の国にいるんだぞ。戻ってきたんだ。もう寝首を掻かれる懼れに満ちた敵国領土にいるんじゃないんだ。だのに何をされるって云うんだよ」
「そ、そうですね」
「おっしゃる通りです」
ははは、と乾いた笑いが小波のようにかすかに立ち上って広がっていった。それら笑いが一段落するのを待ってのち、レックスはおもむろにつけ加えた。
「が、どうもここの雰囲気は悪い。気に喰わん。だから念のために用心だけしておこう。万が一の話だ。もし、王国が俺たちを殲滅することを目論んでこの場に押し込めたんだとしたら、奴らはどんな手を打ってくるだろうか」
「おそらくまず最初は、魔法による遠距離攻撃でこちらの数を削ぐことを目標にしましょう」
マテオが冷静に答えた。「ヴェルトマーの炎騎士団も近衛の軍団も、戴く主君の家柄の性質上、魔法兵力を中心に編まれています。またそうでありませんでも、このように遮断するものがありません見晴らしのよい広場に密集させました敵方を効率よく消滅させますには、遠距離攻撃がもっとも効果的です」
周囲も同感らしい。皆それぞれに小さく点頭を繰り返してこれを聞いている。
「通常の魔法武器ではこの広場全体に攻撃を加えることは不可能ですが、しかし 氷風
「そうだな。その通りだ」
広場を囲む高い塔や建築物を見上げながら、レックスは嘆息した。通常武器の1・5から5倍の射程距離を有する遠距離魔法は、その性質上、標的に照準をあわせることが非常に困難だと云われているが、しかし今度の場合、標的は点ではなく面なのだから、この欠点も問題にはならないだろう。もしこの懸念が当たっていた場合、自分たちはまさしく死地にいるのだ。それもみずから喜んでそこへはまりこんだときた。
(予感が当たっても外れても、間抜けの謗りはまぬがれられないんじゃないか)
暗欝な気分になった。
が、いずれにせよでき得る策はすべて打っておかねばならない。レックスはこの即席の「軍議」を続けた。
「さて。魔法による遠距離攻撃を受ける場合、ここが俺たちにとってはあまりに不利に過ぎる場所だってことには皆、異論はないな」
無論、否やの声があがるはずがなかった。長辺200ラグア×短辺150ラグアの敷地面積を誇る王城前広場は、中央に高々と天を突く建国記念柱のほかには何もない、茫茫とした空間なのである。こんなところに肩を寄せあって立っていれば、夏の草刈り場に生えた草のごとくにやすやすと刈りとられてしまうだろうことは瞭然なのだ。
「よって、攻撃が始まると同時に俺たちは退避せにゃあならん。その場合、どの方角へ行くのが適当だろうか」
全員が真剣な表情で黙考を始めた。苛烈な攻撃が予測されるこのような場合、最初に向かう方角が生死を分かつ重要な条件となることを、彼らはもちろん知っていた。
「王城へは……止したほうが良いですね」
ラモンが思慮深げにつぶやいた。
「陛下がおられるおところにはなるほど、追撃の手はあげにくいでしょうけれど、だからこそ伏兵がたっぷりと用意されていそうです」
「正門も駄目じゃないですか」
ギリェルモが得意げに解説した。
「自分たちはあの大きな門をくぐってこの広場に入ったわけですし、そうでありませんでも、あのおおきな門扉は、混乱のなかでは嫌でも目につきます。攻撃に動転した集団が押しかけることは相手も予測しているはずですから、厚い防御を布いていますよきっと」
「……となると、残る出口は東西の壁に開いたどこかだな」
レックスの言に、全員が釣られたように広場の左右を見回した。焼煉瓦を高く積み重ねた塀には、60ラグアの間隔を置いて幅の狭い出入り門が造られてある。
「その場合、やはり向かうべきなのは右手方向でしょうね」
ロヘリオが云った。
「距離的にも近いですし、何よりも、王城から数えて2番目の門は、我々がここまで乗ってきました馬がつながれてあります馬場に通じています。相手の攻撃範囲から逃れる場合、馬の脚があるとないとでは速度が違いますでしょう」
「しかし、相手が我々の殲滅をたくらんだのなら、逃走の足を奪うことも計画の内に入れておかないか」
ラモンが疑わしげに疑問を挟んだ。
「短時間に我われの馬すべてを、こちらに気づかれないままに別所に動かす――ことは物理的に無理だが、しかし馬場へと通じる小道を塞いでおくぐらいはできるはずだし、向こうだってしておくんじゃあないかな」
「我われがとどめた場所に馬がいるのでしたら――つまりは行くべき先が決まってるのでしたらば、通路のひとつやふたつ、塞がれたところでどうにでもなりましょう。土嚢なんかが置かれてあるのならどければ良いんですし、短時間では動かせない物で封印されてたって、そう心配することはないでしょう。ここは我らが王国の王城なんですよ。初めて足を踏み入れた未知の場所ではないんです。ひとつが駄目なら他の道を探して行けばいいだけですよ」
ギリェルモが朗らかに云う。レックスもそれには同意しない訳にはゆかなかった。
「そうだな。ギリェルモの云う通りだ」
莞ってうなずく。
そもそも攻撃を受けるかどうかも定かではない今このときに、「逃走路を塞がれたからもう駄目だ」と思い詰めるほうが間違っているのだ。
道が塞がれていたら、その障害物を跳ねとばして行けば良い。どうしても動かせない物だったら、他の道を探せば良い。それだけのことだ。
「よし。決まったな。万が一の場合には、あの、馬場へと通じる門に行くぞ。お前たち、部下全員にこのことを伝えておけよ」
「了解ですっ」
勢い良く踵を打ち鳴らして拝命の礼をとったロヘリオ以下数名が、この内容を団員に伝えるため列の後方へと小走りに去っていってのち。
「こんなときに何話してたのさ」
さすがにこの小騒動が気になったのだろう、アゼルがややあきれ気味な表情でレックスの傍に寄ってきた。
「みんなドズルの方を見てたよ。陛下のご来駕も近いのに、列を乱して騒々しく話し込んでてさ。ちょっとまずいよ。もともとドズルは団体行動の列を乱すことで有名だけれどもさ、だからってその悪名をわざわざ自分の方から宣伝してあげることはないんじゃないの」
「おお、アゼル。良いところに来たな。さすがは俺の親友だ」
その親友の助言はまったく無視をして、レックスはにこやかに、しかし有無を云わせぬ調子でアゼルの頚に腕を回して顔を寄せた。低くひそめた小声でささやいて尋ねる。
「お前、変だとは思わないか」
「へん」
「変だろ、この会場の雰囲気」
手短に、自分が気づいた疑惑と、その後取り決めた自分たちの行動予定を伝え終えたレックスは、自分と同じく――もしくはそれ以上に思い詰めた表情になったアゼルの背中を叩いて彼を解放した。
「……と、云うわけだ。俺はこれからそのことに関してシグルドの野郎に相談に行ってくる。アゼル、お前はみんなにこのことを伝えて、万が一の場合に備えさせておいてくれ」
「うん、分かった」
悩んでいるときの癖で、親指のつめを噛みながらうなずいたアゼルの肩を軽く叩いて別れたレックスは、無数の訝しげ、かつ咎めるような目線が全身に差し込まれてくることに気づきながらもそれを完璧に黙殺し、生得身についている悠悠とした所作で広場の前方をよぎって、王城の正面出入口に続く階段の真下に立っているシグルドの脇に行った。
「何かあったのかい」
儀式に臨むグランベル貴族としては非常識に過ぎる行為をなしたレックスを咎めることもせず、穏やかな双眸にただ気遣いの光を燈して訊ねるシグルドに、レックスは重々しい表情でうなずいた。
「ああ。どうもここの雰囲気は――」
が、その声は扉口が開かれる重く軋んだ音によって中断を余儀なくされた。
「シグルド・バルドス=シアルフィ公子、これへ」
儀典官の格式張った声が壇上から下りてきた。
「すまないがレックス、式が始まるようだ。急いでいるのは解るが、式典が済むまで待っていて欲しい」
心底申し訳なさそうな表情をレックスに向けたシグルドは、緋毛氈の敷かれた階段を一段一段、静かに昇って行った。
あとにはただ、レックス独りが残された。
「あちゃ〜。間に合わなかったか」
さほど深刻ではない声でつぶやいて額に手をやったレックスは、広い肩を小さくすくめて嘆息した。
「ま、こうなったらしようがないか。どのみちそうたいした用件って訳でもないんだし」
アゼルに打ち明けた勢いでつい、ここまで来てしまったけれど、そもそも考えてみたらこれは、シグルドに相談せねばならないほど差し迫った証拠があるものではない、云ってみればレックス個人の直感による疑惑でしかないのだ。
(まずったかな)
額を撫でる指を滑らせて、後頭部を軽くかく。今更ながらに、後背に突き刺さる視線の感触が気になってき始めた。
「戻るか」
レックスが今一度肩をすくめて身を翻した、そのとき。
「シグルドどの、晴れての凱旋、めでたいことだ」
頭上、階段のかなたから朗々と声がおりてきた。勝ち誇ったようなその声の主は、陽光を反射して燃えるように輝く絳い髪からも明白だった。
檀前に辿り着いたシグルドが慇懃に腰を屈めて礼をした。
「これはアルヴィス卿、わざわざお迎えいただき恐れ入ります。ところで、陛下はどちらに」
ふと、レックスは足を止めた。
(陛下はおいでになられていらっしゃらないのか)
そうしてそこ、国王がいるべき場所には、この王城前広場をぐるり囲んだ武装兵を束ねる男ひとりだけがいる。
頭上を蔽って離れない陰が濃さを増した。
気のせいだ。そんなこと、あるはずがない。あって良いはずがない。
茫然と階段を見上げながら、レックスは自分に云い聞かせていた。これは何かの間違いだ。そんなことが起こるはずがない。起こるだなんて信じられない。信じたくない。
信じたくなかった。レックスは。だから、ただ躯の脇にこぶしを握り締めて頭上の会話を聞き続けた。
壇上で、会話はつづく。
「陛下は重いご病気で、もはや身を起こすこともかなわぬ。よって、今では私が政務のすべてを代行している」
「そうだったのですか。それはお気の毒なことです。私のことでも、陛下にはずいぶんご心痛をおかけしました。のちほど王宮にまいり、お詫びをいたします」
「それにはおよばぬよ」
陰欝に低い声がささやいた。
「えっ?」
心底驚いて返したシグルドのつぶやきを、レックスは自分のものとして聞いた。
そんなことがあるはずがない。あって良いはずがない。これは何かの間違いだ。
だってここは、俺たちの 故国
握りしめた指の間から汗がしたたった。動くことができなかった。
「卿には反逆者としてここで死んでもらう。王に目通りはかなわぬ」
「な、なんと……アルヴィス卿、それはどう云うことです」
「今頃気づくとは、貴公もあまいな。貴公は父親のバイロンと共謀して王家の簒奪を謀った。その事実に何ら変わりはないのだよ。私は王女ディアドラの夫として、貴公を討伐せねばならぬ」
「 王女 ディアドラ?」
「そうか、貴公はまだ知らなかったな。冥途の土産にわが妃を紹介しておこう。ディアドラ、来なさい」
声に応じて扉が小さく開き、 灰金髪
彼女の容姿を見たレックスの思考は、混乱を通り越して混沌の渦に叩き落とされた。
王女だと。
どうして彼女が王女で、アルヴィスの妃だとして紹介されるんだ。
彼女は、シグルドの、妃だろう。
レックスの後方からも戸惑いの気配がさわさわと立ち上がる。檀との間にある距離がシグルドたちの会話を彼らから遮断しているのだけれど、しかしその間隔は、彼らの眼が王女の顔立ちを認識するには十分小さなものだったのだ。
「あれは、ディアドラ様じゃあないか」
「では、行方不明になられてから、王都で保護されていたのか」
「それにしてはなんか、様子が変じゃないか」
そんな会話が遠慮がちな小声でかわされ始める。
広場に満ち満ちた困惑の気配を楽しむように、アルヴィスは、王女ディアドラの背後に立って彼女の肩に両の手を置き、その耳元でささやくように
指嗾
「ディアドラ、この男がきみの父上を殺したバイロン卿の息子、シグルドだ。恨み言のひとつでも云ってやれ」
王女ディアドラはしかし、怒りよりも当惑が濃く出た表情でじっと、シグルドを見つめた。
「この方が……シグルド、さま……」
ディアドラを見つめていたシグルドの顔が、驚きと希望にぱっと輝いた。
「え。ディアドラ……まさか……」
「なぜそのようにわたしを……」
「ディアドラ、そうだね。君なんだねっ」
勢い込んで訊ねるシグルドを、ディアドラは不思議そうに見やった。
「わたしを……ご存じなのですか」
「知るも何も。君は私の――」
「もういいっ」
焦燥にひび割れた叫びがシグルドの声をかき消した。
「ディアドラ、下がっていなさい。この男は危険だ。反逆者として処罰しなければならない」
「でもこの方は。……お願い、もう少しお話を……」
「駄目だ。おい誰か、姫を安全な場所へお連れしろっ」
「待って、アルヴィス様。もう少しだけ――」
王女ディアドラが最後まで云うのすら許さず、アルヴィスの側近は彼女を強引に、半ば引きずるようにして王城のなかへとつれ去っていった。
反射的に彼女を追おうとしたシグルドは、行く手を塞ぐアルヴィスに懇願した。
「アルヴィス、頼む。あのひとは私の――」
「もういい、何も云うなっ!」
癇癪を起こした悲鳴のような絶叫がそれをさえぎる。
アルヴィスは、知っているのだ。
直感で、レックスはその事実を悟った。
グランベルの王女ディアドラは、シグルドの妃ディアドラだ。
「全軍に告ぐ」
怒りと焦りと、そして何だろう、今一つ、レックスにはとっさに聞き取れない強い感情をにじませた声を朗々と張り上げて、アルヴィスは広場を囲む軍勢に宣言した。
「反逆者シグルドとその一党を捕らえよ。生かしておく必要はない。その場で処刑するのだっ」
「応」
怒号のような応答が蒼穹を震わせた。
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