回り続ける時間の上で 忘れかけた何かがある 思い出して 思い出させて 一番大事なものは何だっただろう 叫びが聞こえる。 風に含まれ流れる怒声。 真冬の海の砕ける波にも似た、荒々しく押し寄せる轟音。 目の前を掠める斬撃をやり過ごせば、次の行動など知れている。 懐から頭蓋骨まで、その距離を計るまでもない。 「ぐああっ!」 軽やかな舞の如き閃きが地から天へ疾走る時、真紅の衝撃は襲いかかる人間を肉の塊に変える。 背中(せな)に吹き込む風。振り返る必要もない。 「流星!」 命の終わる音を上げる暇さえ与えない。 ただ、あまりにも速い切り返しに、揺れる残像が翠に輝く様を、最期の意識の傍らで恍惚と見送る事だろう。 自らに群がる一陣をやり過ごし、女剣士は辺りを見回す。 どれだけ走ったものか、もはや知る術もない。轟音の中心からは外れたようだが、それがそのまま命の危険からの距離に等しいとは、彼女には思えない。 身を隠す場所さえ見あたらぬ荒野に在って、この静寂は所詮かりそめ。 彼女は疲労を隠そうともせず、背後の空を見据えた。 悲しい程に蒼かった空。 今では見る影もない。 ただ、紅い紅い炎に包まれ、絶望を謳い続ける。 「いたぞ! イザーク王女、アイラだ!」 あからさまに敵意をもって紡がれた己が名に、女剣士は前に向き直った。 一個小隊。本来の彼女にとってはものの数ではない。 だが、憎むべき卑劣な騙し打ちによって強いられた負傷と、烏合の衆とはいえ続けざまに送り込まれる刺客に疲弊しきった身体では、蟻の群とても馬鹿に出来ぬのは確か。 火柱に灼かれていた瞳は、ほんの一瞬真横からの突きを見破ることが叶わなかった。 「──── っ!」 瞬間、自らを貫くであろう激痛を予想し、彼女は息を飲んだ。 「アイラ!」 「ぎゃああああっ!」 女剣士の目の前で、醜い肉が左右に割れる。 背骨の通る道筋そのままに真っ直ぐに振り下ろされた一閃が、彼女に向け突き出された槍さえも砕き、尚も止まらぬ勢いは、目の前に迫る小隊へと放たれる。 「ヴェルトマーの貧弱魔導騎士風情が、軍神ネールの血族を戦場で屠れると思うな!」 蒼の軌跡を棚引かせながら、駆ける一対の斧騎士と騎馬。 無骨なはずの戦斧の中で、一際美しい外観を持つそれは、使う主を自ら選ぶと言われる確かな業物。 どれだけの血を浴びようと、どれだけの肉を断ち切ろうと、清らかな水の匂いと空の蒼を刃に宿す。 自らが持つ剣と同じ細工の施された宝石を持つ、その戦斧の辿る道を目にするよりも早く、女剣士もまた刺客へと剣を振りかざした。 「レックス!」 「乗れ、アイラ!」 戦場における限界を知る斧騎士は、重い火球を受け流しながら、女剣士の腰を抱いて馬上に引き上げる。 「退け!大人しく道を譲れば命までは獲らん!」 見るからに雄々しい体躯の騎馬が嘶き、圧倒された刺客を横目に、ふたりは戦場を駆け抜ける。 紅い天鵞絨のマントの中を、蒼と翠の影が通り過ぎた。 男の胸に顔を寄せ、アイラは噛み締めるように呟く。 「レックス……無事だったんだな」 「馬鹿、俺がそう簡単に死ぬかよ」 返す言葉は普段の明るさを保ってはいるものの、その中に含まれる影は濃い。 「他の者たちは…」 「シグルド公子は駄目だ、炎竜に呑まれた。天馬騎士が逃げ延びるのは見たけど、シレジア王子の安否までは分からない」 「アゼルとティルテュは? ノディオン王女たちは?」 「逆方向に逃げ落ちるのは確認したが……その後は分からない。あれだけの攻撃を受けたんだ。生き延びた奴もいれば、駄目だった奴もいるだろう」 青い瞳に憎悪にも似た炎が灯る。 アイラは思う。これを運命と呼ぶのならば、神などいまい、と。 彼女は自らの夫の正義を信じていた。この男の父親が、自らの国を滅ぼした侵略者であっても、レックスという男を信じ、敬愛していた。 幸せになるべき男だと、心から思っていた。思っている。 しかし、現実はかくも無惨だ。ひたむきな男から父を奪い、朋を奪い、そして、かつて彼が兄の如く親しんだであろう男からの裏切りを突き付けた。 力に溺れた『時』が君臨し、全ての心は否定される。 「どこに行ってしまったんだ……」 「アイラ?」 「どこに行ったんだ……隣人を想う気持ちや、しあわせを祈る気持ちは……青い空を、涼やかな流れを美しいと讃える心は……」 呟きは、凛々しい女剣士のものとは思えぬほど弱々しい。 「愛は…どこに消えたんだ……」 涙を押し殺した震える声に、男は妻の髪を緩やかに撫で、唇を重ねる。 「まだだ、アイラ。まだ終わっちゃいない」 青は前を見据えていた。 土煙に追われ、炎の腕に縋られようとも。 ────あの蒼い未来を。 「まだ俺たちは生きてる。人が生きている限り、心も終わらない。俺が……────俺が、お前を愛しいと思う心も、スカサハやラクチェを大切に思う心も、アゼルやティルテュや…仲間たちを案じる心も、まだ死なない。終わっちゃいない」 アイラは決して手綱を緩めようとしない夫の顔を見上げながら、静かに凪いで行く心を感じた。 何と強い男だろう。何と悲しい男だろう。 かつて、彼はかようなまでに強くはなかった。皮肉屋を演じる事で現実から逃げ、否定された正義と情の中で藻掻く放浪者であった。 だが、今のレックスは違う。絶望という名の現実を知りすぎたからこそ、絶望に呑まれぬ強靱な意志を煌めかせている。 その強さの一端を支えるのが自らであることに、アイラ自身が思いを馳せることはなくとも。 「愛は終わらない。俺たちが生きている限り、俺たちの信じた心は倒れない。それでも、もしも俺が倒れたなら…」 駆ける速度はそのままに、穏やかに向けられる視線。 「その時は、お前が愛を語れ」 「レックス……」 「いつかお前さえも倒れる日が来たとしても、人が在る限り心は消えない。愛が愛を語る、心が心を支え続けるんだ」 後ろ髪を焼く炎を知っても、確信を持って言える言葉。 「だから、諦めない。俺は、俺たちのすべてを、まだ諦めない」 裏切られ、別れを繰り返し、それでも尚信じるという事。 失う過去よりも、掴める当てもない未来を探す事。 炎の中に命を終えた聖騎士よりも、それは苦しい、辛い決意。 けれど、それが生きるという事なのだ。 逃れられぬ最期の時が来るまで、生き続け、生き抜くという事。 アイラは夫の背に強く強く抱きついた。 「レックス……ああ、そうだな……私も…諦めずにいよう…」 濡れた頬は気取られぬはずもなかったが、男は何も言及しなかった。 「飛ばすぞ! アイラ、しっかり掴まってろ!」 今はただ、信じて走り抜けるしかない。 何一つ諦めぬと、過去と未来に誓いを刻んで。 回り続ける時間の上で 歯車の隙間で砕かれたとしても 忘れないで 忘れさせないで 愛が愛を語れ 2001.12.8 タイトルはASKA(時任三郎も)の同名楽曲より。 実に1年10ヶ月ぶりのFEです。夏コミの折り、炎三姉妹次女(袴田はやか氏)からご依頼されたレックス×アイラをお届け致します。 レックスは元々それほど心が強い人ではないと思います。だからこそ、父の変貌を直視出来なかったわけですし。 でも、逃れられぬ現実と対峙し、そして国がかたきという葛藤を乗り越えて愛する女を見出した時、彼の中に眠る信念と正義は不動のものになるのではないでしょうか。 誰に裏切られても、最期まで絶望しない強さと優しさ。 生き延びた語り部たちが、子供達に伝えて行って欲しいものだと思います。 佐々木優樹 ■本当に優樹さんの書かれるレックスは凛々しいです。 そして、アイラもそんなレックスに負ける劣らずかっこいい。 口にする言葉ひとつひとつも、心に染みます。 このお話、読むことが出来て嬉しかったです、ありがとうございました! (袴田はやか) ■レックス男前ー!!ステキです……。 こう、普段はついつい、アイラの心境の変化にばかり目が行ってしまいがちな私ですが、 佐々木さんのこのレックスの姿勢がとても素敵で…。ほんまに男前です。ありがとうございました! (狩谷あかね) |